静岡聖ペテロ教会(日本聖公会横浜教区)Shizuoka St.Peter's Anglican Church, Shizuoka

TEL054-246-8013 早朝聖餐式 午前7時30分~、午前10時半~ Regular Sunday Services 7:30a.m. / 10:30a.m Eucharist

月報聖ペテロ12月巻頭言

メシア…神さまからの答え
司祭 エドワード 宇津山 武志

今から約二千年前、「民衆はメシアを待ち望んで」いました(ルカ3:15)。
“メシア”。クリスチャンには聞き慣れた言葉ですが、日本ではそれほど正確に知られた言葉ではありません。以前の聖書では“メシヤ”と表記されていましたので、「めし屋さんのことか?」なんて笑い話も…。ギリシア語の原典でこの箇所を見ると“クリストス(キリスト)”と書かれていて、1954年日本聖書協会の口語訳でも“キリスト”の訳語を当てています。もとはヘブライ語で“油注がれた者”という意味なのですが、王位に就く儀式に用いられ、それが聖書の中で“救い主”という意味になっていきました。つまり、「救い主」=「メシア」=「キリスト」です。
イスラエルというと、周辺のアラブ国家との紛争のニュースで聞くことが多く、今もきな臭いイメージがあるかもしれません。実はこの地域は古代から紛争が絶えませんでした。西に地中海、時代は異なりますが、南にエジプト、東にメソポタミア、北にギリシア、そしてイエスさまの時代にはローマ帝国。こうした大国の攻防によって常に甚大な影響を受け、この地の人びとは翻弄され続けてきました。ダビデ、ソロモンという偉大な王の時代に隆盛を極めましたが、長い歴史の中ではほんの一時期に過ぎません。苦しい状況が続く中で、やがて彼らは自分たちをそうした大国の支配から解放し、豊かに治めてくれる“王”=メシアを待望するようになっていきました。
彼らが求めていたのは力強い王でした。彼らは必死で祈り求めました。そして神は、その祈りに応えてくださいました。彼らが強く願ったのとは全く別の方法で…。おとめマリアを母として、ベツレヘムという小さな村の家畜小屋で、幼子としてのメシアの誕生です。ほとんどの人がこの出来事に見向きもしませんでした。わずかに気付いたのは羊飼い、東の博士、そしてその訪問を受けた当時の王ヘロデでした。羊飼いたちはその生活ゆえに、律法を守ることが困難でした。住まいは天幕です。その日も野宿をしていました。宗教的県者にとって、彼らは救いから最も遠いところにいると考えられていた人びとです。東の博士はユダヤの人びとにとっては異邦人。彼らもまた、ユダヤ人の与る救いとは無関係な人びと。皮肉にも、ベツレヘムの飼葉桶に眠る幼子イエスに見え、喜びに溢れ、自らの宝をそのみ前に差し出したのはそんな彼らだけでした。「ユダヤ人の王」が生まれたことを東の博士たちによって知らされたヘロデはどうだったでしょう。彼は自らの地位が脅かされることを恐れ、あたりの男の子を皆殺しにするという暴挙にでたのです(マタイ2章)。
神の救いは、思わぬ形で訪れます。思わぬ時に。二千年前のように、わたしたちはそれを知らずに通り過ぎるかもしれません。知りながら相手にしないかもしれません。あるいは思っていたのと違うからと拒絶することもできます。それでも、神のみ子イエスは全ての人の救い主=メシアです。汚いところに、暗闇に、神の救いの灯火はか細く灯されます。どうかわたしたちが、その小さな灯火を心のうちに大切に迎え、その灯火とともに人生を送るものとなりますように。

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