静岡聖ペテロ教会(日本聖公会横浜教区)Shizuoka St.Peter's Anglican Church, Shizuoka

TEL054-246-8013 早朝聖餐式 午前7時30分~、午前10時半~ Regular Sunday Services 7:30a.m. / 10:30a.m Eucharist

月報聖ペテロ巻頭言

「谷川の水を求める鹿のように」
         司祭 エドワード 宇津山 武志

 こんなに寒い冬になんですが・・・
日曜学校やボーイスカウトでは、夏になるとよ
くキャンプに出かけます。“下界”の酷暑から逃れ、
高原の心地よい風に癒されますが、それでも山歩
きとなると強い日差しにげっそり、汗もかき、喉
も渇きます。最近では運動中の水分補給は鉄則で
すが、「先生、喉が渇いた」と、子どもたちが泣き
言を言っても、ちゃんと下見のときに確認してル
ートに入れておいた渓谷の清流までは我慢です。
斜面を下るにつれて水の音が大きくなり、ワクワ
クしてきます。そしてついに川に到着。まずは手
を入れ顔を洗い、靴も脱いで大喜びです。10秒も
浸かっていられないくらい冷たい水の気持ちの良
いこと。これも今ではご法度ですが、口に運ぶと、
本当に癒されました。
「谷川の水をあえぎ求める鹿のように
神よ、わたしの魂はあなたを慕う」
詩編42編冒頭の美しいこの一節に、以前はそん
な光景を思い描いていました。聖公会の信徒も聖
職も、有名な詩編の言葉は祈祷書で記憶してしま
いますね。たまには聖書の翻訳に触れてみましょ
う。「涸れた谷に鹿が水を求めるように/神よ、わ
たしの魂はあなたを求める。」(新共同訳)、「鹿が
涸れ谷で水をあえぎ求めるように/神よ、私の魂
はあなたをあえぎ求める。」(聖書教会共同訳)。な
んだかずいぶんと雰囲気が異なりますね。囂々と
音を立ててどころか、チョロチョロとさえも流れ
ていないようです。はてさて、これはどうしたも
のでしょう。
聖地イスラエルパレスチナの地は雨季と乾季
がはっきりと分かれていて、山といっても茶色い
土が露出して、わたしたちが思い浮かべる「鬱蒼
とした森」などというものがありません。山は雨
水を蓄える能力が乏しいので、一度降った雨は山
肌を削りながら猛烈な勢いで低いところへと流れ
ていきます。雨季が終わると、そこは急峻な谷だ
けが残り、水は姿を消してしまいます。これが「涸
れ谷」です。
水は生死を分けます。40度を越す暑さに渇き消
耗したわたしには、おそらくこの涸れ谷を下る勇
気はないでしょう。そこに水がなかったら、もう
一度登らなければならないのですから。
「この谷の底には水はない」というのは極めて
理性的な判断です。逆に言えば、水を求めて涸れ
谷を下ることは愚かな判断でしょう。でも、鹿は
谷を下りました。鹿にそうさせたのは理性ではな
く信仰です。己の経験と知恵への信頼ではなく、
神の計らい、神の愛への信頼です。
むかし、ペトロがイエスさまの「来なさい」との
言葉に、一歩船縁から湖の上に踏み出したとき、
彼は水の上を歩いて主の招かれるところへと進ん
でいくことができました。しかし強い風に怖れ、
我にかえったとき、その足は沈んでいきました。
強い風は理性を呼び覚まし、わたしたちを我にか
えします。信仰によって神にかえる道を選びまし
ょう。
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